「ビ スケット 旅の入り口」

                                                     山田英美

 

 

 

昨年(2016年)4月下旬、私は、震災後1年経過したネパールへ向かいました。その1週間ほど前には、熊本・大分地方を大きな地震が襲っており、まだ生々しい混乱状態にある九州地帯の上空を飛ぶことに対して、複雑な気持ちが少なからず起りはしたものの、そのずっと以前から決めて準備をしていたので、そこは割り切ることにしてー。

 

JALと連航しているマレーシア航空機の手荷物重量制限は、二個で30㎏。これまでの経験ではたいてい重量制限20キロなので、ラッキーとばかりにスーツケースと段ボール箱に体重計で計ってきっちり30キロの手荷物をつくりました。一人で持っていくので、甲府駅から成田に直行する中央高速バスが便利。

 

成田空港でJALのチェックイン手続きをしたときのこと。

 

私は自分の測り間違いではないように、また重量制限の記載が20キロの間違いだったなどと言わせないようにというようなやや強気のニュアンスで、「書いてあるとおりきっちり30キロに作りました!」と申し出たら、女性スタッフが「きっちり30キロ!」と笑顔でかえし、段ボール箱の中身をたずねました。そこで「震災の慰問に被災地の小学校に持っていく文房具や絵本や袋入りのお菓子などです」と答えると、その若い女性スタッフは「私もボランティアにとても関心を持っています。でもこういう仕事についていると簡単に出かけることができません。私たちの思いも込めて、荷物を送らせていただきますね」と優しい笑顔で言って「ワレモノ注意」の赤いラベルを丁寧に張りつけてくれました。この思いがけないはなむけの言葉が、私の スケット(微々たる助っ人)の旅を幸先好いという明るい気持ちにさせてくれ、日本のサービス業は世界一!と心の中でつぶやき、ささやかでも多くの人の善意をしっかり届けようと、改めて思ったことでした。

 

JAL機は成田から5,372㎞あるマレーシアのクアラルンプール空港まで飛び、そこでマレーシア機に乗り換えてネパールのカトマンドゥへ、真夜中近いがその日のうちに着くというスケジュールになっていました。どこの飛行機を使うかは旅行会社に任せてあるので、経由地もそちらまかせ。これまではタイのバンコク経由が多く、マレーシアの空気をちょっとでも味わえるのははじめてのこととて、かなりわくわく感がありました。クアラルンプールの空港での乗継時間に、これがマレーシアという何かを見つけられるかとコンコースを歩いてみたのですが、バンコクのドンムアン空港と同様にとてもすっきりと近代化されてしまっていて、泥臭いおもしろさはどこにもありません。見慣れたスターバックスの緑色の丸看板や免税のチョコレート店などが眼に入るばかり。1,000円をマレーシアリンギット(1MR30円)に両替して、スタバでグリーンティ・ラテとチキンチーズパイを注文したところ、あと5リンギットくらいしか残らなかったので、物価もお得感があるわけではありません。パイの味は悪くはないが、男の店員ばっかりで、ラテがなかなかこない。注文を忘れたんじゃない?とちょっと焦りそうになった時やっとできあがって持ってきてくれるくらい仕事がのろい。日本のサービス業がいかに優れているか、ここでも軍配を上げていました。

 

 

 

カトマンドゥのトリブバン国際空港には予定より2時間も遅れ、日付が変わった真夜中030分着。425日はちょうど一年前に大地震が起こった一周年になる日です。ともかく無事に着いたことを喜ぼうという気持ちで、パスポートチェックのブースに並ぶ。真夜中の勤務とはいえ、愛想の無いオヤジさんたちが事務的というか性能の悪い器械のようにのろのろ処理していく。「ネパールの玄関口、顔ではないか、もう少しwelcomeの表情があってもよいよ、オジサンたち」と、いつものように心でつぶやき、成田での感じ良い応対ぶりは世界でも超一流のサービス美学の実践ではなかろうか、と改めて思ったことでした。

 

手荷物クレームのベルトも流れがつっかえつっかえというような様子で、私の段ボール箱が掛け紐の緩んだ疲れた様子でやっと出てきた時には、「やー、ごくろうさん!」と声をかけていました。カートにのせて荷物をひっぱって出ていくと、むくつけきオジサンが近づいて何やら言って荷物を引き取ろうとします。タクシーの客引きかと思って、Sホテルのスタッフが迎えにきてくれているはずなので要らないよとあわてて断ると、やおら紙切れを広げます。そこには「HIDEMI YAMADA」と書いてあった!自分に会えた気がして、これ私、私!と紙と自分を往復で指さしてもう安心してカートの手を放したのでした。そこへSホテルの馴染みの女性スタッフ、大柄なポービットラさんが駆けつけ、「この人新しいうちの運転手。ようこそ、ようこそ!」と私をしっかりとハグする。2時間以上も、じっと飛行機の到着を立ったまま待っていてくれ、文句ひとつ言わない辛抱強さは私たちがまねのできない美徳にちがいないものです。タクシーの中でも、ポービットラさんは隣でずっと私の手を握りしめており、大地震はちょうど一年前の今日…ということを英語で互いに感慨深く語り合った後、「日本も熊本で最近大きな地震が…」と彼女からお見舞いを言ってくれたのには、その情報の速さと相手を気遣う教養の深さに感心したものです。

 

空港に近いこじんまりしたSホテルに着いたら、真夜中にもかかわらず、ばらばらと従業員が口々に「ナマステ―」の声をかけつつやってきて、温かいネパール茶を運んでくる、荷物を部屋へ運び入れるなど…気持ちよく働くのでした。

 

 

 

こうやって56日まで12日間の私のネパール ビ スケットの旅が始まりました。

 

 ―続きは、次の機会にお話しできれば幸いです。

 

そして……人生も毎日、朝起きたときから今日という日の旅の入り口に立っていると、最近感じます。どんな事柄とどんな人との出逢いがあり、夕べには、それらの出逢いのいろいろをありがたかったなーとしみじみ嚙みしめることは、遠くに行かなくても同じことですね、まさに一期一会です。